他者の主義主張と無関心

他者の主義主張を理解することや解釈することは嗜好に過ぎず、そうすべきことでも、そうすることで何かが善くなると言えることでもない。故に表面的には不快と思える主義主張を理解しようとすること、解釈しようとすることは、個人の自由意志に委ねられる。理解や解釈が新たな知見の獲得につながる場合もあるし、そうでない場合もある。新たな知見の獲得は善であるという命題は偽である。他者に無関心でいる自由は尊重される。

しかし個人の主義主張と背反な主義主張があり、この背反する主義主張と無関心でいたくない環境があるとする。ここで問いたいのは「背反である」ということが真であるかということである。全ての要素集合 E = \{e_1, e_2, ... \} の要素に対する任意の写像 f_g(e) とこの写像写像された要素である gg = f_g(e) \to \{g | g \in A_g\} として表現される。ここで A_n は任意の属性を持つ要素の集合である。補集合は C(G) = E - G として定義する。A_g の補集合となる要素を写像する f_hh = f_h(e_n) \to \{h | h \in C(A_g)\} である。

ここで i = f_i(e_m) なる写像 f_i あるいはその写像された要素である i があるとき (cont.)